なぜ日本は偏差値が嫌いなのに使い続けるのか 考案した元・中学教員が語った“生徒のために作った偏差値が悪者になるまで”
53コメント2020/03/06(金) 10:01
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1. 匿名 2020/03/04(水) 22:01:28
「もともと教育という営みは、教師と生徒の心の通い合いによって支えられて成り立ってきた。とりわけわが国のように儒教的文化が底流になっている教育風土では、科学技術が目覚ましい進歩を遂げて高度な情報化社会になった今日でも、そうした関係の要求はほとんど変わっていない。偏差値も、教師がそろばんや電卓と計算尺で作っていたときには、意識のなかにはつねに子どもたちの顔があったし、できあがったそれには教師の汗の臭いや手のぬくもりが感じられたものだ」
「偏差値の品性が悪くなったことについては、偏差値には直接の責任はない。偏差値を使って伝えられる受験・進学情報のなかに、わが国の教育のあり方とか青少年の将来の幸福とかを真剣に考えている心ある人々のひんしゅくを買うようなたぐいのものが少なくなくなってきて、そのことがいかにも偏差値が低俗なものであるような印象を与えるようになったのである」
偏差値を使えば、自分が平均からどのくらい離れた位置にいるのかが分かり、そして、あとどれだけ上げれば希望する道へ進めるのか、そのためにどの分野に力を入れればいいのかも分かります。
偏差値というのはただそれだけのもので―― 受験生を支える味方だったのです。本当は。
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24. 匿名 2020/03/04(水) 22:15:59
>>1
私、偏差値が高かったわけでは決してないけど、悪いシステムとか思ったことないし嫌ってもいないので、むしろピンと来ないw
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41. 匿名 2020/03/04(水) 23:31:55
>>1
珍しく記事がちゃんと面白い。+4
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日本で受験を経験した人ならば、「偏差値」というものをご存じでしょう。例えば、2019年度の東京大学理科三類の偏差値は72.5。これは「東大理科三類に合格した受験生の平均偏差値が72.5だった」ということです。テストを受けて「あなたの偏差値は○○です」と評定が下されては、「これでは志望校に入れない……」と頭を悩ませていた人も多いのでは?