【フランス同時テロ】自爆犯の遺体近くにシリア難民の旅券=バルス首相は空爆継続表明
136コメント2015/11/21(土) 21:54
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134. 匿名 2015/11/20(金) 23:38:24
<自爆テロ>を、イスラム過激派に教えたのは日本人という。
1972年(昭和47年)テルアビブ空港で日本赤軍の奥平剛士、
安田安之、岡本公三の3人が銃を乱射、無差別テロを図った事件。死者24人、負傷者70人以上。
奥平、安田の2人は乱射後、手榴弾で自殺、生き残った岡本だけが裁判にかけられた。
岡本「世界のあらゆる所で、一国的限界にとらわれることなく、世界革命を起こしていく。
世界の人に警告しておく。これからも同じような事件(無差別テロ)はニューヨークで、ワシントンで、次々起こる」。
イスラム原理主義過激派の自爆テロ攻撃の源流も、このテルアビブ空港乱射事件にあった。
テロ活動は、パレスチナ・ゲリラ組織(民族主義者の組織と左翼革命の運動組織)の軍事行動の一環として、
ヒット・アンド・アウェイ的に、イスラエルの国家組織(軍、警察、官庁など)に対して仕掛けられた。
あくまで敵に打撃を与えて、すぐ逃げる生還を期す行為だった。
危険な行動ではあったが、初めから必ず死ぬと判かって突っ込む自殺的作戦ではなかった。
そこに自殺的特攻作戦を持ち込んだのが、日本赤軍のロッド(テルアビブのパレスチナ名)空港作戦だ。
初めから死ぬと判かっていて突っ込む特攻作戦は、アラブ人に衝撃を与えた。
彼らには考えられない行動だった。岡本は、たちまち英雄に祭り上げられた。
パレスチナ人の革命派組織は岡本を褒め称えたものの、自分たちが特攻作戦で、それに続こうとはしなかった。
パレスチナ人が独自にやった特攻作戦の初めは、74年のキャルトンシェモナ事件であるが、
町中いたるところに、特攻攻撃者を称える写真入のビラが貼り巡らされていた。
その後、彼に従う特攻攻撃者は殆ど出ていない。余りに合理性に欠けているからである。
パレスチナ人は、もともと教育水準が高い人が多かった。
それぞれの国で良いポジションを得ており、特に教育職、エンジニアなどの知的職業が多い。
アラブ諸国に必ず一定数が住んでいて、パレスチナ人が持つ影響力は、日本人が想像するより遥かに大きい。
そんな彼ら(イスラム過激派)が90年代に入り、自殺攻撃作戦を取り始めてしまう。
左翼革命主義者たちは合理主義者であるから、自殺を前提とする作戦は執れなかったのである。
しかし、イスラム過激派は宗教的信念に基づいて、死という前提を平然と乗り越えてしまった。
神のために死ぬ殉教は生より望ましいものだったからだ。
中東では、テロリストという言葉が、日本やアメリカとは異なる使われ方をしている。
イスラエル以外の中東諸国でテロリストといったら、アメリカとイスラエルを指す。
(ユダヤ人は)パレスチナ人が住んでいた土地に押し込み、
強盗のように入ってきて土地を奪い、勝手に独立国家を作り反抗する者は武力でねじ伏せる。
パレスチナ人の目から見たら中東問題の基本構図は、
<イスラエル・アメリカの国家テロ>対<パレスチナ人のレジスタンス>である。
ハマス他の自爆攻撃も、レジスタンスの一つの形態である。
日本人の大半が知らない大切なポイントは、
パレスチナ側の見解が、中東のアラブ諸国の一般大衆に、広く受け入れられているということだ。+0
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