禁断の肉体関係…姪を妊娠させ小説で公開してしまった、明治時代の文豪「島崎藤村」のヤバすぎる人物像
994コメント2024/05/03(金) 07:27
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239. 匿名 2024/04/18(木) 12:35:45
>>17
お母さん、ぼくは本当は孝行者だったんですよ 〈中也の言〉
中也のいまわの際の言葉です。フクの指を煙草を吸う時のように自分の指に挟んで二度吸い、「今にわかる時が来ますよ」と。それが最期の言葉になりました。
生前は、〈胆やき息子〉と親を歎かせるほど、親に心配をかけた中也でした。
中也が病気をしたり、経済的に困窮するたびに、母福は東京と山口の間を、当時の厳しい交通事情のもとで、何往復したかわかりません。
ところが、中也の死後、名声があがるにつれて、論文の調べもののために、大学の休みになると多くの大学生が福をたずね、それが生き甲斐になったのです。
「中也が生きておりますころは、湯田のあたりで、〈あれは胆やき息子だ〉という評判になっておったようです。けれども、このごろではみなさんが、〈死んで孝行なさいましたな〉といってくださいます。〈中也さんがおいでくださったために、公園に詩碑もできるし、湯田に住む者はほんとうに名誉に思っております。あなたもお若い時には苦労なさいましたろうけど、あんなに立派になられるとは、ほんとうに親孝行でございましたよ〉」と福。
母福の長命は、中也の亡き魂が親孝行を果たすために、生き長らえさせたとまで思えてしまうのです。
私には中也の詩だけは妙によくわかるのです。
文学者のわからないところでも、よく分かるところがあるのです。 〈福の言〉
角川書店から全集が出て、改めて福は中也の詩を読み返してみました。母は、中也の詩の所々に異常な共感を持ったといいます。90歳で山口市より文化功労者として表彰されました。
「中也を育てる上に功績があったとでもいうのでしょうか。私は詩人になれと願ったことは一度もありませんでした。詩人になることを絶えず阻止して来ました。そして今は印税の一部まで貰っています。中也にすまない気がします」+278
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246. 匿名 2024/04/18(木) 12:42:44
>>239
中原中也のエピソードの数々が、ハチャメチャなんだけどどこか可愛らしくて人たらし感に溢れてるのは優しいお母様の愛情をたっぷり受けて育ったからなのか+271
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309. 匿名 2024/04/18(木) 13:27:38
>>239
でも福母さんはさあ
自分が生きがいを持って長生きするより
お前に長生きしてほしかったんだよ中也+265
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722. 匿名 2024/04/19(金) 00:04:04
>>239
泣けるな
親子の絆にほっこりした
ダメで可愛い息子で大好きな母ちゃんだったんだね+69
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