ガールズちゃんねる
  • 39. 匿名 2022/11/04(金) 21:35:56 

    スタ誕で、童謡でも歌ってなさいって言った審査員意地悪だなと思った

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  • 601. 匿名 2022/11/04(金) 23:40:30 

    >>39
    この審査員は誰に対しても厳しかったよ
    でも岩崎宏美や森昌子には優しかった記憶がある
    お気に入りだったのかな?て子供心に思ってたよ

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  • 639. 匿名 2022/11/05(土) 07:01:20 

    >>39
    「スター誕生!」に最初の応募ハガキを送ったのは中学1年(1978年)。

    当時、予選会でピアノ伴奏をしていたのは、後に明菜のボイストレーナーを務めることになる大本恭敬だった。

    「夏に抱かれて」を歌い、予選突破。1ヶ月後の本選で初のテレビ出演を果たす。審査員・松田トシに「年齢のわりには大人すぎて、若々しさに欠けますね」と言われ、結局、合格ラインの300点に届かず不合格。翌朝、すぐに応募ハガキをスタ誕に送る。

    中学3年の夏、2度目の本選出場。松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌うも、再び松田トシに「歌が上手だけど顔がとっても子どもっぽいから、無理ね。大人の歌を歌うより、童謡でも歌ってたほうがいいんじゃない?」と。明菜の口から抗議の言葉が出たが、客席で見ていた母の「明菜!やめなさい!」の声で怒りの矛を収めた。

    高校1年(1981年)の7月、いよいよ3度目の本選出場。歌ったのは山口百恵の「夢先案内人」。審査員の中村泰士はこの日の明菜は「完璧」だったと判断し、100点をつけようとしたが、電光掲示板は99点までしか表示されず一時収録を中断。この時、他の審査員にそれとなく点数を聴いてみたら皆、中村が思っていたよりも低かった。必死に明菜の良さをアピールしたところ、もう少し点数を増やすということで同調してくれ、結果、392点というスタ誕始まって以来の最高記録を出す。結果、11社からのスカウトマンのプラカードが上がり、アイドルへのパスポートを手に入れた。

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