山上徹也容疑者モデル映画が「安倍国葬」当日公開へ 元日本赤軍が撮った〝問題作〟の意外なテーマ
3358コメント2022/10/10(月) 16:57
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2857. 匿名 2022/09/14(水) 22:24:06
抜粋
テルアビブ・ロッド空港事件
中東に活動基盤を形成した日本赤軍は、昭和47年5月、イスラエルのテルアビブ・ロッド国際空港で、奥平剛士、安田安之、岡本公三の3人が、自動小銃を乱射、手榴弾数発を投てきし、24人を死亡させ、76人に重軽傷を負わすテロ事件を起こしました。
「テルアビブ・ロッド空港事件」
(昭和47年5月30日)(共同)
3 国際テロ組織「日本赤軍」 日本赤軍は、昭和49年以降52年までの間、PFLPとの共闘によりテロ活動を活発化させる傍ら、49年7月にパリ・オルリー空港において偽造旅券を使用したメンバーが逮捕されたことを皮切りに、多数の関係者が身柄を拘束されました。
さらに、49年にはこれら拘束されたメンバーの釈放を求めて、オランダ・ハーグのフランス大使館を占拠しました。
その後、世界各地でメンバーが相次いで検挙されたことから、日本赤軍は、在監・拘留中のメンバーの奪還を目的に、50年8月にマレーシア・クアラルンプール所在の米国大使館等を占拠
(「クアラルンプール事件」)
し、さらに、52年9月にはパリ発東京行きの日航機をハイジャック
(「ダッカ事件」)しました。
我が国政府は、犯人側と数度の交渉を試みましたが、人命尊重の見地から、超法規的措置により両事件で合計11人の在監・拘留中の日本赤軍メンバー等の釈放を余儀なくされました。
その後、57年6月のイスラエル軍によるレバノン侵攻を受け、本拠地ベイルートを撤退した日本赤軍は、60年5月、イスラエルとPFLP―GC(パレスチナ解放戦線総司令部)との捕虜交換により釈放された岡本公三を迎え、61年以降、再びテロ活動を再開させ、ジャカルタ、ローマ、ナポリと相次いでテロ事件を引き起こしました。
「クアラルンプール事件」
(昭和50年8月)(PANA)
4 相次ぐメンバーの逮捕
こうした中、昭和62年11月に東京都内で日本赤軍メンバー丸岡修が、63年4月には米国で菊村憂が、同年6月にはフィリピンで泉水博が相次いで発見・逮捕され、レバノンを撤退した日本赤軍が、友好的な革命組織との共闘関係を醸成するために、世界各地で暗躍している姿が浮き彫りになりました。
その後、警察は、ルーマニアに日本赤軍メンバー浴田由紀子が潜伏していることを突き止め、平成7年3月に逮捕、8年6月にはペルーに潜伏していたメンバーを逮捕しました。
また、ネパール国内に潜伏していた城崎勉については、同年9月に身柄拘束後、米国に引き渡す措置が採られ、さらに、9年11月にはボリビアに潜伏していた西川純が身柄を拘束されました。
同年2月には、レバノンに潜伏していた日本赤軍メンバー5人が一斉に検挙され、レバノンへの政治亡命が認められた岡本公三を除く4人は、12年3月に国外退去処分となり、警察は、帰国と同時に逮捕・収監しました。
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2895. 匿名 2022/09/14(水) 22:50:57
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2896. 匿名 2022/09/14(水) 22:54:13
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