やしきたかじん元弟子の訴訟支援カンパに難癖をつけるコメント「返金して欲しい」「詫び入れて和解しろ」
3493コメント2015/04/10(金) 14:51
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2578. 匿名 2015/03/30(月) 01:24:03
2537さん ありがとうございます。黒田氏の変わり方を見ると12月半ばが正解で、最初は「12月は年末までずっと元気だったが突然亡くなった」という設定だったのが、「徐々に衰弱して病院で亡くなった」という設定に移行した為に時期を変更したのかもしれませんね。
その場合、実際のたかじんは12月半ばまでまあまあ元気だったのが、余命宣告を経て12月26日以降体調が悪化していったのかもしれません。
(たかじん死去後)
・週刊誌で後妻についての報道 ・寄付金放棄などの計画が上手くいかなかった。
・たかじん死去時の報道 自宅で食事中に喉を詰まらせて亡くなった?
→疑惑の払拭、遺産などのために「殉愛」を出版。
・危急時遺言について書く必要がある。・病院で徐々に弱り亡くなった設定?になった。
そこに紅白の話が出てくると違和感があるし、ワインをたくさん飲んでいた話も流れにそぐわないので書かなかった? もし故意に時期を変更したのなら7月には「殉愛」の構成が固まりつつあったのかな。
(たかじんの体調)
死去直後の設定 11月 → 12月 → 1月 ↓
半年後の設定 11月 → 12月 ? 1月 ↓
「殉愛」の設定 11月 → 12月 ↓ 1月 ↓
実際? 11月 → 12月前半 → 12月後半↓ 1月↓
(時系列)
12月半ば 黒田氏と面会 たかじんは元気だった。(当初の報道)→半年後に11月に変更?
12月後半 伊東クリニックで血液検査。伊東医師がたかじんに聖路加に行くよう助言。(「ゆめいらんかね」P248) →「殉愛」に記述なし。
12月25日 ソファーに座って三時間話せる体力があった。(「殉真」P99)
12月26日 容態が急変し聖路加に入院。(「ゆめいらんかね」P251)
12月29日 息も絶え絶えという状態。 (「殉真」P218)
12月30日 危急時遺言
12月31日 病室で紅白を観てツッコんでいた。(当初の報道) →「殉愛」に記述なし。
1月1日~2日 年始はマンションに帰っていた。 (当初の一部報道・「ゆめいらんかね」P251)
→「殉愛」では病院で過ごしたことになっている。
1月3日 食事中に喉を詰まらせて救急搬送される。聖路加で死去。(当初の一部報道・「ゆめいらんかね」P251) →「殉愛」では病院で死去したことになっている。
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