やしきたかじん元弟子の訴訟支援カンパに難癖をつけるコメント「返金して欲しい」「詫び入れて和解しろ」
3493コメント2015/04/10(金) 14:51
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1893. 匿名 2015/03/27(金) 07:09:45
あらららら、井野編集長のお言葉が気になって、起きて参りましたら、やはり百先生はこの期に及んでもスタンスがお変わりになっていなかったとは、ちょっとショックですね…
「最後は正論。」気になって気になって、たかじんさんのことを思い出しました。
たかじんさんの立ち位置は、右でも左でもなく、「正論」。(『ゆめいらんかね』p.213)
そして、もう一つの立ち位置が、「庶民」。
角岡先生の『ゆめいらんかね』より、何箇所か引用させていただきますね。
p.215(たかじんさん著書からの引用)
<そもそも庶民の"笑い"とは、ある意味では権力と対峙したところにあるものではないだろうか? ……立場の弱い者が強い者に抵抗できるのは、揶揄であったりする。手も出せない、カネでも勝負できない。そんな庶民に残っているのは、カネと権力を持った人間を口でコテンパンにやり込める、パフォーマンスのなかでの"笑い"しかないのだ>
p.216
たかじんの立ち位置は、あくまでも庶民である。その彼が、仲良く元内閣総理大臣と温泉につかって政治談議をする。……
「たかじんのファンは、自分たち庶民の言葉を代弁してくれているっていう人が多かったですね。だから一切、政治にはかかわらない、芸能人と政治家はめざすものが違うから、俺は一切そんなことに興味ないって常々言ってました」
たかじんのマネージャーを四半世紀務めた野田がそう述懐する。
庶民の代弁者は、いつの間にか権力者のそれに代わっていた。
(↑死後に変わってしまったのかどうかまでは書かれていませんが、橋下市長の文化・教育行政に関する政策に関して、彼と深くかかわったたかじんが)「それらをどう見ているのか。聞けないまま、旅立ってしまった。」とあります。(p.222)
たかじんさんの、右でもなく左でもない、「正論」と「庶民」の立ち位置を、宝島さんが引き継いでくださっているのかな。これからも期待しています!+43
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