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【国内】偉人のクズエピソード【海外】

1831コメント2020/10/01(木) 11:40

  • 48. 匿名 2020/09/24(木) 11:59:47 

    >>1
    母親を背負った時、あまりの軽さに泣けて三歩も歩けなかったっていう詩を知った時切なくなったけど
    こんなクズエピソード満載の息子を持った心労で母親は痩せてしまったんではないかと思ってしまった

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  • 202. 匿名 2020/09/24(木) 13:00:57 

    >>48
    どちらかというとこの母親カツ(1847‐1912)のために
    啄木も啄木夫人の節子も苦労させられたんだよ

    夜中に饅頭作らせたエピソードも、カツが4人の子の中で唯一男の啄木だけを特別扱いして
    甘やかした結果
    二番目の姉も妹の光子もいつも啄木ばかりで、カツから可愛がってもらった記憶がないと言ってる

    光子が火傷したときも
    「兄も私も負けず嫌いだから、私が負けてさえいれば兄の機嫌はいいのだが、少しでも勝とうものならたちまちふくれあがり、二人の間は、母に止められるまでけんかになっていった。そして私がいつも、女で年下なのだからと母に叱られる。いかにも損な話であった。あるときなどは、兄が例の大きないろりの火を火箸でとばし、私はやけどをして泣きだしたが、母はそれさえも、『そんな小さな火がとんだってあついはずがない』と私を叱った」

    啄木夫人の節子をいびり続けて、普段他人の悪口を言うことがない節子にまで「あの人は相当イヂの悪い人です」みたいなことを手紙で書かれる始末

    金田一京助は啄木の留守中に石川家を訪れた時、カツから節子に対する愚痴を聞かされている
    節子はそれについて、口を閉じて反論せずにずっと黙って聞いていた

    金田一京助もこう語っている。
    「あの啄木を生んだのももちろんおかあさんですが、また、その啄木を生涯浮かび上がることのできない貧困に踏み落としたのも、やはりそのおかあさんだったのです。(中略)ああいう苦労をしたからこそ、あれだけの、今日日本の隅々に至るまで多くの人々が多大の感銘を持って読む、あの体験、あの傑作を残せたので、したがって、それらをつくったのもそのおかあさんなのです」

    啄木と節子が結核で亡くなったのも、母カツから移されたものだったし
    精神科医の西脇巽もカツが啄木の人格形成に大きな影響を与えたが、啄木はそれを克服しようと
    していたと語っている
    啄木が数多くの世に残る短歌を生み出すようになったのは節子に家出されて、改心した後のこと

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  • 892. 匿名 2020/09/24(木) 22:58:54 

    >>48
    クズなことをしてきた自分に初めて気づいて悔いたのかと思ってた

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