訴訟連発のさくら夫人、今度はやしきたかじん氏の弟子を提訴!『紅白』で天童よしみが震えた揉め事
599コメント2015/01/30(金) 22:46
-
182. 匿名 2015/01/03(土) 01:24:22
151自己レス。たかじんはまだ動けるうちは、伊東くりにっくにもマネージャーと一緒に行き、体調の悪さが深刻になってからは、大阪のマンション滞在時にクリニックのスタッフの往診を受けていたのかも?と
思った。特に疑問なのは、血液検査をし異変に気が付いたのは、伊東くりにっくなのに、その点が『殉愛』には書かれていないんじゃないか?という点。(まだ読んでないけど)
・「さくら氏からは感謝の手紙ももらったのに、なぜああいう記述になったのか。たかじん氏はがん闘病中も2週間に一回ほど私のクリニックに来ていたが、普段はマネージャーと一緒で、さくら氏が来たことは一度もなかった」(週刊朝日 最新号)
・「大阪のマンションで闘病生活を続けていたたかじんは、大阪市内にある伊東くりにっくのスタッフの往診を受けていた。」 (ゆめいらんかね)
『ゆめいらんかね』を見直してたら、以下の記述もあった。
P236「年齢は伊東が十五歳下だが、たかじんは伊東が気に入り、少しでも体の不調があると頼りにし、診察を受けていた。伊東は開業するまでは、複数の病院の脳神経外科、形成外科、整形外科などに勤務経験がある。
いわばたかじんの主治医のような役割を果たしていた。(A)
プライベートにおいても、年末年始や夏休みをともにハワイで過ごすなどして家族ぐるみの付き合いを続けていた。食道ガンがわかってすぐにたかじんは伊東を自宅に呼び、治療計画を話している。(B)」
(A)は『殉愛』エピローグの 〈国会議員でもある某医師は、主治医でもないのに主治医のように言い、一度も診察がしたことがないのに間違った病状を週刊誌などで話し、(略)〉と矛盾する。
(B)は既女板の『殉愛』をソースにした時系列と一致する。《02月初旬 大阪中之島の伊東くりにっくの伊東信久医師を自宅に呼び、治療計画を相談。「手術は内視鏡」「放射線治療と抗癌剤の話も出た」 》
もともと主治医のような存在だったからこそ、『殉愛』に書かれたように、ガン発覚直後に伊東医師に治療計画を相談したんだろうと納得がいく。信頼していなければ、そんな大事な相談をしないはず。
その後、別の病院に通っていても、大阪では伊東医師を頼りにしていても不思議じゃない。
『殉愛』の内容は矛盾してるし、重要なことを書いていない。
時系列によると、12月中に聖路加病院、三田クリニック、瀬田クリニックに行ってるけど、異変を発見したのは長年主治医のような役割をしていた伊東医師だったんだろう。+46
-2
削除すべき不適切なコメントとして通報しますか?
いいえ
通報する