訴訟連発のさくら夫人、今度はやしきたかじん氏の弟子を提訴!『紅白』で天童よしみが震えた揉め事
599コメント2015/01/30(金) 22:46
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151. 匿名 2015/01/02(金) 22:15:12
長いけど気になったので、伊東信久氏(維新の党の衆議院議員・医師)との関わりについてまとめとく。
伊東医師まとめ①
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●時系列(2ちゃんから転載、『殉愛』がソース)
12月13日 大阪
12月15日 膀胱炎の可能性 久保田医師の指示により、さくらが抗生物質を投与
12月18日 瀬田クリニックでワクチン療法(12回予定の6回目)
12月19日 吐き気と食欲不振 炎症反応検査(結果の記述なし)
12月23日 東京 聖路加病院で腹膜播種が判明。 久保田医師による「余命1、2ヶ月」宣告
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●『ゆめいらんかね』
「大阪のマンションで闘病生活を続けていたたかじんは、大阪市内にある伊東くりにっくのスタッフの往診を受けていた。」
「十二月の下旬、たかじんが伊東くりにっくのスタッフに体の不調を訴えた。尿が出にくいので腎臓の検査をしてほしいという。血液検査をおこなうと、炎症を起こす数値が通常の三十倍を示していた。報告を受けた伊東は、マネージャーの小丸を通じて、至急東京の主治医に診てもらうことをアドバイスする。
たかじんは東京に向かった。」
⇒「12月19日 吐き気と食欲不振 炎症反応検査(結果の記述なし)」のあたり??
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●週刊朝日 新春合併号
《闘病生活でも『殉愛』とは異なる新証言がある。
維新の党の衆議院議員で医師でもある伊東信久氏は06年からたかじん氏を治療し、ホームドクターのような存在で、闘病中も医師を紹介したり、経腸栄養剤を提供したりした。たかじん氏は伊東氏が立ち上げた株式会社に3分の1出資。その死後、14年3月の取締役会には代わりにさくら氏が出席し、取締役への就任も求めてきたという。
だが、『殉愛』エピローグではこう批判された。
〈国会議員でもある某医師は、主治医でもないのに主治医のように言い、一度も診察がしたことがないのに間違った病状を週刊誌などで話し、(略)〉
伊東氏がこう語る。
「さくら氏からは感謝の手紙ももらったのに、なぜああいう記述になったのか。たかじん氏はがん闘病中も2週間に一回ほど私のクリニックに来ていたが、普段はマネージャーと一緒で、さくら氏が来たことは一度もなかった」》
《『殉愛』ではたかじん氏と長女(41)の不仲が強調されていたが、伊東氏はそうした話を本人の口から聞いたことはなかったという。》
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●週刊朝日 2014年1月24日号
《伊東氏は2006年、たかじんさんのヘルニアの手術に成功。それをきっかけに親交を深め、かねて健康の相談に乗っていた。
「去年はあまりしんどい様子が見られなかったので、今春には復帰できるだろうと思っていました。ただ、昨年末になって、尿の出が悪いということで、血液検査をしたら、体内の炎症を示す数値『CRP』が通常の約50倍出ました。次に測った時には、約90倍に増えており、これはきちんと調べたほうがいいということになり、12月22日、たかじんさんは東京の先生の病院へ行かれました」(伊東氏)
その後、クリスマスカードを受け取ってからも、伊東氏は電話で、東京にいるたかじんさんと話をしたという。しかし、元日に送った年賀のメールは返信が来なかった。》
⇒100タコが殉愛で書いた「間違った病状を週刊誌などで話し、」はこれのこと?
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●伊東くりにっくHP TV出演/出版物
TV出演/出版物|くりにっく紹介|椎間板ヘルニアのレーザー治療 PLDD専門クリニック 伊東くりにっくwww.ito-pldd.com大阪・中之島クリニックモールにある伊東くりにっくは、椎間板ヘルニアのレーザー治療:PLDD専門クリニックです。どんな腰痛でも、まずはご相談下さい。
2006.12.24放送 読売テレビ10ch
たかじんのそこまで言って委員会 クリスマススペシャル
「たかじんドクターズ」<そこまで病んで委員会>
2007.12.30放送 読売テレビ10ch
たかじんのそこまで言って委員会 年末スペシャル
「たかじんドクターズ2007」<そこまで病んで委員会>+46
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