ガールズちゃんねる
  • 393. 匿名 2018/12/24(月) 02:24:26 

    子ども時代に、父母の離婚で両方とも経験しました。

    結局は「愛情はなくてもお金のある家庭」
    よほど心のネジの振り切れた人でない限り、愛は貧しさに負けます。


    離婚前は不仲の両親が罵声を飛ばしあう冷え切った家でした。
    小1の頃には夜中でも起きてケンカの仲裁をするような生活。
    時に八つ当たりのサンドバッグにされ、耳を塞いで虫のように固く丸まって泣きながら眠り、精神はいつもボロボロでした。

    それでも衣食住の不自由はなく、何よりやりたいことを罪悪感を抱えずやらせてもらえました。

    離婚後、母は穏やかな人になりましたが、お金がないために引っ越し先の治安は悪く、たびたび犯罪に巻き込まれました。

    習い事もすべて駄目。好きだったピアノは売りに出され、毎日「お金がない」「お金がない」ばかり聞かされました。
    やがて望みを口に出すだけでも罪悪感を覚えるようになり、本音などとうてい口に出せなくなりました。


    貧しさは不自由です。
    好き、楽しい、うれしい、幸せ。
    そのどれより、常に「安さ」だけを探すゾンビになって生きないと生きられないので心が死んでいきます。

    一番きつかったのは

    ・友人にさえ同情され、情けなさに涙も出なくなる格差といつも一緒

    大学に行くため、限界まで奨学金を借り、足りない分は学校以外の「ほぼすべての時間」を油まみれになって働きながら過ごしました。

    たまにきれいな可愛い服を着て、好きなものを食べ、毎日は明日の生活を不安に思うことなく笑える。

    そんな普通だけどとても大切で望みのあることをできる友達が、とてもまぶしく羨ましくて心はどんどん起伏をなくしました。

    お昼代はいつも100円以内。
    たまに利用する学食はいつも最低価格のかけそば120円。

    人生で一番きれいな時期に、おしゃれも恋もできませんでした。ショッピングもデートも旅行も、誘ってもらっても回せるお金が本当に無かったのです。

    そこまでやってさえ、希望のゼミは研修費が高くて行けませんでした。



    病気になっても家計に入れ続け、ある日「お兄ちゃんが海外へ卒業旅行へ行くから」
    「自動車教習費も車も用立ててあげた」
    と聞かされました。

    「お金がない」と言いながら、慰謝料から捻出していました。そんな物があったなんて聞いていませんでした。

    私はそこで糸が切れました。

    正確な表現のできない母にもかなり問題がありますが、貧しさに自然と「きっと無理だろう」「言って困らせてはいけない」と何も相談しなくなった自分に気がつきました。

    貧しさは人のいろんな道も心も閉ざします。
    愛は渡す方が満足していても機能しません。愛しているつもりで子どもに貧困の呪いをかける大人は結構います。

    母は大切ですが、同時に一生許せないと思います。

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