【最後の】佐々木蔵之介さんを語りましょう【希望】
329コメント2018/07/21(土) 09:55
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315. 匿名 2018/07/21(土) 09:21:59
佐々木蔵之介の軌跡①
1968年2月4日
京都府京都市、二条城近くの蔵元「佐々木酒造」の次男として誕生
幼少期から優秀だった1歳年上の兄と比較される
出典:pbs.twimg.com
1974年4月~1980年3月、ノートルダム学院小学校に進学
小学5年生の時の生活態度(通知表の担任教諭の評価)
「明るく活動的で大変結構ですが、落ち着きがなく仕事が乱雑です。
思考力はありますが、毎日の家庭学習が不十分」
小学6年生の時、同級生の鍵村さんが書いた劇「シーチキン太郎」に家来役の1人として出演
シーチキン太郎に「ハハァ~」とひれ伏す場面で
蔵之介だけ他の児童よりタイミングが遅れてしまい
その失態がトラウマになり現在に至るまで約40年も引きずる
1980年4月~1983年3月
兄は名門・洛星中学校に合格したが、蔵之介は中学受験に失敗
実家近所の二条中学校に進学
中学時代のアダ名は「白菜」(色白だったから)
将棋・囲碁部に入るが、全く行かない幽霊部員で、将棋囲碁のルールすら覚えないまま終わる
学校から帰宅すると「西部警察」「大都会」など刑事ドラマの再放送を
おやつを食べながら視聴する事が日課になり、「将来は刑事になりたい」と夢を抱く
中学2年時、当時ヒットしていた「ルビーの指環」を購入
蔵之介が生まれて初めて買ったレコードであり
2005年、寺尾聰主演の「優しい時間」に出演した際、感激する
1983年4月~1986年3月、洛南高校に進学
厳格な進学校の1日7時間授業に付いて行けず苦しむ
成績は悪く常に下位だった
校則が厳しい男子進学校だった為、女性と喋る機会が殆ど無く
マクドナルド店員の女性と少し言葉を交わしただけで喜ぶ
毎朝バス停で無言ですれ違うだけの他校の女子高生に片想いする
1986年4月~1988年3月
大阪の予備校に通学し、2年間の浪人生活を送る
思うように成績が上がらず、たまに予備校をサボって淀川の河原を徘徊
成人式の時期、「同級生の皆は成人式かぁ…」と独り寂しく
夜中の公園で樹木に向かってローリングバットの練習をする
1988年4月、二浪の果てに東京農業大学農学部に進学
1990年3月までの2年間、上京して東大生の兄と同居生活を送る間に
強烈な学歴コンプレックスの塊になる
在学中、好きな女子に想いを伝えたくて
数回、彼女を公園に呼び出してデートするが、想いを告げられないまま終わる+1
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